2022年5月30日 福岡市西区今宿 叶嶽 の山頂にあります叶嶽神社に参拝しました。
この日はちょうど双子座の新月。
始まりの新月の日に、心を新たにするようなお話が伺えたのでお伝えします。

己が心に持っているすべての制限を取り払い、心の目で、すべてをみること。
心眼で、本当の世界をみること。
本来、世界には制限など一切ない。
今の己は、狭められた視界と思考の中にいる。そのことを自覚し、そこに留まることなく、
視界を狭めている知識、概念、思考などをすべて取り払い、心の目ですべてをみること。
それが本来の宇宙のあり方であり、姿であると知ること。
視界が晴れれば、不可能なことなど一切ない、障害など一切ないということに気が付くことができる。
障害や限界をつくっているのは己自身。
乗り越えることのできない障害や決して超えることのできない限界だと感じていることが
いかに些細なことであるか気付くことができれば幸いである。
気付いたならば、開いて変えて、本来すべての者が生きることが出来るはずのミロクの世を創ること。
できる時に来ていることに気付き、言い訳をせずに、ミロクの世界を創りあげてほしい。
出来ないことなど一切ない。
苦労するのでなく、己本来の姿に戻り、気持ち良く自由に、したいことをすれば、
心から住みたいと願っていた世界が現実になる。
極楽の世が出来上がる。
ただ、それだけだ。
阻んでおるのは己自身。
一人でも多くの者が、仏の目を持つことができるよう願っておる。
そして自らを信じて、できる限りのことをすればよい。
笑顔で、温かい満たされた心で生きることが己の幸せになり、そのように生きる者が増えることが、すべての者の幸せになる。
己が幸せになることがたくさんの者を幸せにする。
そのことを知り、己が幸せになることをあきらめないこと。
己が幸せになることは、自分だけのためのことではない。
すべての者たちのためになることである。
その心で、己が幸せになること。
そうすれば、己が幸せになったときに、それだけでは終わらず、更にすべての者を幸せにしようという意欲が湧いてくる。
自分の中から自然に湧いてくる意欲と喜びに従って行動し、いつの間にかたくさんの者を幸せにすることこそ人の生きる道。
自分では、ただ己に素直に生きておっただけだと思っているそのことが、いつの間にかたくさんの者を幸せにする。
そういう生き方をすれば、笑顔で、よい人生だったと思って死ぬことができる。
これ以上のすばらしい幸せな人生はない。

感謝されよう、評価されようと思ってすることなど、ちっぽけなこと。
心からしたいと思うことをひたすらに行っていくだけ。
評価するのは己ではない。周りの者たちがいつの間にか自然に評価してくれるだけのこと。
始めから終わりまで、己の生き方、心がけ、姿は、一切変える必要がない。
誰も知らぬただ一人の者であったときから、大勢の者から知られ、有り難がられる存在になったときまで、生き方、あり方、心がけ、何一つ変えることはない。
ただひたすらに、自分を信じて、己に素直に、気持ちよく生きている。
そのことが、いつの間にか人のためになり、人から感謝されるようになる。
ただ、それだけのこと。
その簡単なことがわからんようになっておる。
いろんな荷物を背負いすぎ、いろんな欲を背負いすぎ、訳がわからんようになっておる。
いらぬ肉をつけすぎて、動きが取れんようになっておる。
必要のないものをすべて捨て去ってしまえば、なんと簡単なことかとあっけにとられるように
幸せな世界が広がっておる。
世界は一つも変わらん。
そのことに気付いて、幸せに暮らしていってほしい。
それに気が付く者が一人でも増えてほしい。
簡単なことなのだがのう。
山から湧き出る水を飲んでおいしいと思える、その環境があることに感謝し、その恵みに心から感謝し、そして周りにいるすべての者たちとともに、幸せに暮らしていってほしい。
言いたいことはそれだけだ。
今日は、話ができてよかった。
この日本列島は、何もせずとも幸せに暮らせる土地。
世界的にもとても稀有な土地である。
日本列島に住んでおるお前たちは、よくわかっておるかのう。
それをしかとわかって、感謝して恵みに与かり、大切に守り、幸せに暮らしていってほしい。

叶嶽神社に参拝すると願いが叶うと言われているそうです。
人にはそれぞれ違った願いがあるように、
求めること、幸せと感じることもそれぞれ違います。
そもそも自分にとっての幸せとは何なのか、
それを、曇りのない目で見て確かめて、やっていけば、
不可能なことなど一切ない。必ず叶うのだということなのかもしれませんね。
叶嶽の神様、ありがとうございました。
<叶嶽神社について>
霊峰叶ヶ嶽341m 登拝すると願いが叶うと言われている。
JR今宿駅に神社の名所案内が眼を引く。風光絶佳とある。叶ヶ嶽宮前バス停から白い鳥居の並ぶ参道を抜けて登ること約40分、10合目の石段の上が叶ヶ嶽の山頂で、まわりを見渡すと北は紺青の海に広がる能古の島・志賀島・玄海島等の島々。そして弧状白砂の汀線に青松を描く風土のゆかしさは、今宿人の心の琴線に触れる。
由緒
古文書(貝原益軒編 筑前国統風土記など)によれば、「往昔、山の名を天狗山と申しけるが、神功皇后、三韓進出のみきり、この所に御心願あらせし給ひしに御心に叶ひけりとて、山の名を変えて叶嶽と名付け給う」とある。
この神社の主神は、本地仏勝軍地蔵で、印度から伝承した魔神的性格を持つ地蔵の我が国における呼称である。
地蔵を祀りながら神社とは、おそらく八世紀頃から唱えられた本地垂迹説、または神社習合思想のいわば伝来の仏教信仰と、我が国古来の神祇信仰との調和をめざすものであろう。
元来、地蔵信仰とは死者の冥福を祈るものであるが、平安朝時代から専ら貴族社会に盛んとなり、中世になると勝軍地蔵の名で本来の魔神的な性格が武士の守り神となり、やがては子供など弱者救済の、そして近世以降では、庶民のあらゆる願望を叶える菩薩として尊崇を集めるのである。
この神社は、今から約六百年ほど前、熱烈な地蔵信仰で知られた将軍足利義満公の家来すじに当たる、上原の豪族吉住因幡守忠親が義満に倣い京都の愛宕権現より勝軍地蔵の分霊を勧請し奉り、建立したもので、霊験いみじみくもあらたかである。
<勝軍地蔵について>
愛宕権現の本地仏。大宝年間、役小角が白山修験の開祖とされる泰澄と山城国愛宕山に登ったとき、龍樹菩薩、富楼那尊者、毘沙門天、愛染明王を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵であったという伝承が残る。また、敏達天皇の御代、日羅が勝軍地蔵を護持したとされ、さらに『元亨釈書』には清水寺の延鎮が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に坂上田村麻呂の戦勝祈願を行ったことが記されている。しかしながら、儀軌などが現存せず、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確でない。『地蔵菩薩本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えられている。幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通するが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在する。
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