黎明 椿大神社 猿田彦大神

新年 明けましておめでとうございます。

一年の始まりにあたり、
三重県鈴鹿市にあります椿大神社にお祀りされている猿田彦大神様からお預かりしたメッセージを
お伝えしたいと思います。

これから始まる新しい時代は、私たち一人一人が創り出し、創り上げていく時代です。
そのことに気付き、自覚して、私たち自身が生きたい社会を創り上げて行きましょう。
2023年が皆様にとって幸多い一年となりますように。

心あるもの、知ることが出来る者は、知る必要があり、知ってよい者。
知ることが出来たということは、この国の再興のために働く必要がある。
そしてその新しい国を造ることを使命としているということである。
ゆえに、知らせることをためらうことはない。
知る必要がある者しか知ることはできん。
知ることが出来る者には知らせ、心して、この国が滅ぼされることのないように、また、この力を世界の中心となる力にまで高めるように、動き、働き、創っていく必要がある。

それぞれの使命を自覚し、そこからできることを、皆々、それぞれに己がやるべきこと、己がやって楽しいと思うことをやっていくこと。
己が最も得意とすること、それがその者の役目であり、輝かしい国を創るために必要な働きである。
すべての者が必要である。たくさんの者が必要である。必要な者が今呼び集められ、呼び覚まされ、この地へ集い始めている。

その自然な流れに乗って、各地でその場所、その場所に呼び寄せられる者たちが目を覚まし、土地を覚まし、国を覚ましていくことが、この国を豊かに栄えさせることであり、かつ、文明を花開かせるもととなることでもある。

いにしえから続いていること。
それをそれぞれの者たちが感受した、その直感によって、さまざまな者が動き出すこと。
それが流れとなり、文明の始まりとなり、川は流れだし、大きな潮流となる。
その始まりの時が、訪れて数年たつ今日である。その地に立って、文明の始まりに立ち会うことが喜びとなるであろう。

この話を聞きにきたお前たち、この話を聞くことができたお前たちは、この話を聞きたくて今日、ここへ来たということである。ゆえに、お前たちの魂にとっては、この話を聞くことが、この上ない喜びであるはず。その喜びを、喜びとして素直に自覚し、それを喜んで、聴く必要のある者、聴くことが出来る者、聞く耳を持つ者、力を持つ者、役目を持つ者に伝えること。それが新しい始まりを産む。輝かしい流れを産み、大きな流れの始まりとなる。

今、始まりの役割を担う者が、わずかではあるが動きだしている。そして急速に数が増える。楽しい瞬間ではないか!

かつて我々はその瞬間に立ち会い、そして、その時が終わった時に、この地を見つからないように、封印した。
その蓋を開けてよい。
その蓋を開けて、また、輝かしい潮流を始めるときである。
これから起こる文明は、また新しい形をとる。
それがどんな文明・社会となるかはお前たちの腕の見せ所。
自由に創造する。そして、この上ない理想の世界を創りあげること。
自分達の手腕を、嬉々として見せるがよい。

八百萬の神たちは、そなたたちに惜しみなく手を貸すであろう。己がエゴに乗ることなく、その大いなる善なる流れに乗って活動する者たちには、我々は惜しみなく力を貸す。そして、人知を超えた大きな流れを産む、人が考えつかないほどの発展を瞬く間に遂げることになる。

自分達の小さな考え、ひらめき、自分達の枠の範疇に留めることなく、あらゆることが、どんなことが起きても、それをすべて受け取って、驚きとともに、快く受け取って、新しい流れに乗っていけ。決して、お前たちの頭の中にある小さな枠に閉じ込めるでない。その枠から、零れ落ちたものをとりこぼすでない。自分の枠が小さいことを自覚して、それを越えることを許し、許容し、その流れを止めることなく、その流れを拡大させる気持ちで、すべてを受け容れ、受け取り流していけ。

本来の、それが流れというもの。文明の起こりというもの。
大きな流れをそのままに、流してやれ。
現実世界に現すためには、人の力がいる。人が創っている世界であるから、人の意識を通ってしかこの世界に現れることができん。その意識を拡大すること。その自分の範疇を越えていることをわかっていれば、それを越えることを受け取ることが出来る。受け取り、そしてそれを越えたまま、越えているまま、そのままに現実に流せ。越えたままに、己の小さな枠だけを通ったものだけを現しているのでは遅い。越えたままに、越えたとおりに、越えたままに流し出せ。そうすれば、受け取ることが出来る者が、受け取り現実化し、創造を越えた現実を創っていくことができる。
いかに枠を外すか、自分の中の常識を捨てるか、自我を外すか、そこが腕の見せ所。

いかに、違うこと、己の認識と違うこと、意識と、枠と、常識と違うこと、それをいかに許容することができるか、そこにかかっている。
越えたものは、越えたままに出せ。出せば受け取ることができる者が現れる。
自らが受け取ることができなくても、受け取ることが出来る者が現れさえすればいい。
ゆえに決して止めるな。

そして、想像を越えた現実化を、流す、押し出す、流れを流す。
そうすればあっという間に大海原のような新しい世界ができる。
いかに、この現在の姿を変えることが出来るか。楽しみではないか。やってみてくれ。

この話を受け取ることが出来る者が来てくれて、今日は良い日である。

受け取った者は、受け取る役割。それだけを果たせば、ひとつは越える。ゆえにお前自身で現実化しようとすることは必要ない。できる者がすればよい。
受け取った者は、これをできるだけたくさんの者に伝えること。そして、受け取りたい者があれば、直接ここにくれば、それぞれに受け取ることができるものを受け取ればよい。

今、蓋が開いた! 

喜ばしいことである。ここにたくさんの者が集う。大変喜ばしいことである。
たくさんの者がこの地へ訪れることになれば、お前たちは大きな役割を果たしたことになる。

できることはやっていること。
一から十まですべて自分でやろうとせぬこと。自分ができることをやればそれでよい。
あとは、それぞれにできる者が、やりたい者がやればよい。そしてその流れが大きなものとなり、たくさんの者が参加して、たくさんの者が喜びあふれる、たくさんの者の喜びが重なり続ける、栄える国ができる。
美しい、素晴らしい国を観たければ、できるだけたくさんの者に伝えろ。伝える範囲が大きければ、動く。スピードが速くなる。
楽しんで生きること。

楽しんで行動すること。
楽しんで、自分達ができることをすること。
すべての者が楽しむ国ができるためには、すべての者が楽しんでその流れを行うこと。
その先には、すべての者が喜び楽しむ国ができる。

楽しんでいけ!


ありがとうございます。

この地から、新しい文明が始まります。八百萬の神々さまと共に、我々人間が、すべての者が、存在が、明るく、楽しく、豊かに、笑いあい、愛し合い、協力しあい、楽しみあって、喜びとともに、大きく大きく、愛と光を広げていきますように、愛と光を広げる大きな文明が花開いていきますように。

弥栄



<椿大神社>

伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は、往古神代、高山入道ヶ嶽、短山椿ヶ嶽を天然の社として、高山生活を営まれた国つ神「猿田彦大神」を主神とし、相殿に皇孫「瓊々杵尊」、「栲幡千々姫命」を、配祀に「天之鈿女命」、「木花咲耶姫命」を祀っています。

猿田彦大神は、天孫 瓊々杵尊降臨の際、天の八衢に「道別の大神」として出迎え、高千穂の峯に御先導申し上げます。そのことより、肇国の礎を成した大神として、人皇第十一代垂仁天皇の二十七年秋(西暦紀元前三年)、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社です。

仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及んでいます。
また、猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮として、「地祇猿田彦大本宮」と尊称されています。

椿大神社ホームページより



<猿田彦大神>

サルタビコノカミ、またはサルタヒコノカミは、日本神話に登場する神。

概要

『古事記』では猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記される。

『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する(『日本書紀』は第一の一書)。天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した国津神。

伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には、庚申信仰や道祖神と結びついた。

神話での記述

邇邇芸命が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。『日本書紀』では、その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。そこで天照大御神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田毘古神で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来た。

邇邇芸命らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸命は天宇受売命に、その名を明らかにしたのだから、猿田毘古神を送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言った。そこで天宇受売命は「猿女君」と呼ばれるようになったという。なお、『日本書紀』では、猿田彦が天鈿女命(あめのうずめ)に自分を送り届けるように頼んだとなっている。猿田毘古神は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰った。

猿田毘古神は伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村、現松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れる。この際、海に沈んでいる時に「底度久御魂」(そこどくみたま)、猿田毘古神が吐いた息の泡が昇る時に「都夫多都御魂」(つぶたつみたま)、泡が水面で弾ける時に「阿和佐久御魂」(あわさくみたま)という三柱の神が生まれた。この時に海中で溺れた際に生じた泡の三柱の神は阿射加神社(三重県松阪市大阿坂と小阿坂に2社存在する)に現在は鎮座されている。 

『倭姫命世記』(神道五部書の一つ)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。しかし、大田命を猿田彦の子孫と主張し始めたのは鎌倉時代に成立した『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』や『倭姫命世記』であり、延暦期成立と見られる『皇太神宮儀式帳』や後三条朝までの編年記事が見える『大神宮諸雑事記』では、宇治土公は単に大田命の子孫であるとだけ主張しており、大田命の遠祖に猿田彦を架上したものと指摘される。「児島系図」では久斯比賀多命三世孫の久斯気主命を祖とし、石部公や狛人部と同族であるとされており、これに従えば三輪氏族となる。

椿大神社(三重県鈴鹿市)の社伝によると伊勢の阿邪訶にて溺れた際に命を落とし、後に同神社の高山土公神御陵に葬られたとされており、これが猿田彦命の御陵とされている。

また、二見興玉神社(三重県伊勢市二見町)の由緒書によれば同神社の境内の海中に位置する興玉神石は天孫降臨の際に猿田彦が降り立たれた神跡であると伝えられている。

解説

天狗面を被った猿田彦役

面掛行列(御霊神社)

『日本書紀』には、天宇受売神は胸乳を露わにし裳帯(もひも)を臍の下に垂らしたとあるので、性的な所作をもって相対したことになる。神話では二神が結婚したと伝えられている。

「鼻長七咫、背長七尺」という記述から、天狗の原形とする説がある。「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神だったとする説もある。

その異形な風貌から赤鼻の天狗とされるが、仏教、特に密教系の烏天狗と混同されやすい。

三重県鈴鹿市の椿大神社、三重県伊勢市宇治浦田の猿田彦神社がサルタヒコを祀る神社として名高い。また、祭礼の神輿渡御の際、天狗面を被った猿田彦役の者が先導をすることがある。

他にも滋賀県高島市の白鬚神社の祭神とされたことから白鬚明神の名でも全国各地に祀られている。また子孫である大田命、内宮の興玉神とも同一視される。さらに江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられたほか、垂加神道では「導きの神」として神道の「教祖」とされる。他にも合気道の開祖・植芝盛平の建てた合氣神社では盛平の守護神とされる祭神である。様々な神格を持つ。

こうしたことから近年は、謎の神として鎌田東二などの学者にクローズアップされている。鎌田は、サルタヒコとアメノウズメの協働を国津神であるサルタヒコの裏切りではなく、新しい日本の体制を開くための和睦と解釈し、サルタヒコを日本的霊性の現像ととらえている。

常陸国の住人に猿田氏があり、猿田彦の末裔であるとされる。前述の椿大神社と猿田彦神社の宮司もともに鎌倉時代以降、猿田彦の神孫と称する。

現代でも小説や漫画などの創作物の登場人物として用いられる。例えば手塚治虫の『火の鳥』シリーズには、「猿田」もしくは「猿田彦」という人物が多く登場する。それらの多くが、鼻が大きいという身体的特徴を持っている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



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