現実を創造する叡智 事任八幡宮

2023年1月24日
静岡県掛川市にあります 事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)に参拝しました。

御祭神である 己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)さまからのメッセージをお伝えします。

今日はこちらへ参拝してくれて、ありがとう。

よく来られました

この国には、大事な「言葉」があり、人のすべての叡智を入れたもの、長い長い年月をかけてできあがったもの、とても大切なものでございます。

先人たちの智慧と、長い年月に亘る研究の成果との集大成が、あなたがたが今使っている日本語というものです。とても貴重なものです。
そのことをよくわからずに、今、皆使っています。
それは大変もったいないこと。

このあなたがたが使っている言葉は、あなたがたが発する通りに、この世界を創り出すことができるものです。
大変、大変、大事なもので、気を付けて大切に使わなければならないものです。

そのことをわきまえて、どうか大切に、精確に使ってほしい。

心から誓いをたてて、過ちをもたらさないように、正しい世界を招来するように、
素晴らしい世界を創り出すように心掛けて、大事に精確に使ってほしいものです。

そのことをどうか、皆の者に伝えてください。

わかっている者は、大変少ない。

時代が下がると共に、簡単に使い、簡単に変え、簡単に間違いを犯しています。
大変もったいないことです。
なにも咎めようとは思っておりませんが、この言葉の持つ本当の力を顕すことができなくなってしまいます。

この貴重なものを、大事なものを、本当に素晴らしいものを、そのものの価値を壊さずに、そのもののとおりに、顕し使うこと、それがこの世界をよりよくする早道であります。

正しく言葉を使い、心を込めて、言葉を使えば、その通りの素晴らしい世界が出現するのですから、そのことをしっかりとわかって、心して、意識して大事に使ってください。
あなたがた、この言葉を使える者たちは、日常に使い、今全く苦労せぬほどこの言葉を使えるという、一歩先んじた力を持っているということです。
この国に生まれて育ったというだけで、ひとつ頭を出した、抜きんでた力を持っていることになりますから、そのことに気がついて、どうか大事に、有効に使い、素晴らしい世界をここに出現させてください。

それが我々の心からの願いであります。

これから、新しい世界が花開いていくとき、言葉はとても大事になります。そして、有効に使えば、素晴らしい世界を現出することが簡単になります。
整った心と、整った身体と、整った言葉を合わせて使えば、何の苦労もなく理想の世界を出現させることができます。

どうかそのことを知って、それぞれに、それぞれの創造の力を発揮させて、素晴らしい世界を創っていただくことを心から願っております。

私たちの祖先から受け継がれた叡智の結晶である日本語の力を、
これからの新世界創造に活かしていきましょう。
己等乃麻知比売命さま、ありがとうございます。





<事任八幡宮>

創建年代は不詳ですが、(第13代)成務天皇の頃との記録があります。

大同2年(807年)、坂上田村麻呂が勅命を奉じて、当社を再興したと伝わっています。それまでは本宮山にお祀りされていましたが、この年に本宮山より今の地(里宮)に遷座されたようです。
もちろん現在も本宮山では、小さな祠でお祀りされています。

醍醐天皇の御代に選上された「延喜式神名帳」には、遠江国佐野郡四座の1つとして「己等乃麻知神社」があげられています。

また、平安時代、清少納言が書いた「枕草子」の中に「ことのまま明神いとたのもし」と書かれた項があります。平安時代には、「ことのままの神」が都にまで伝わっていたとわかります。
ことのままの神は、「願い事のままにかなえてくださる神」として伝わっていたようです。

その後源頼義が、京都より石清水八幡宮を当社に勧請したのは康平5年(1062年)でした。
武家社会の世の中となり八幡神が武家の守り神として広まったので、当社も「八幡宮」を称するようになりました。八幡神を守り神として奉る世の中で、異なる神名のまま社をお守りすることは厳しく、多くの神社が社を廃されることをおそれて名前を変更した時代でした。

戦国の世では、この一帯も戦いの渦の中でした。「己等乃麻知比売命」様をお守りしようと社家の者は、比売神様の分霊をあちらこちらにお祀りいたしました。

戦国の時代を経て、徳川家康が大檀那として本殿を造営した棟札があります。造営しなくてはならない痛手を当社も受けていたのでしょう。幕府は御朱印百石余を寄進して幕府の守り神であると祟めました。その後、徳川秀忠が中門を造営した記録があります。
本殿の扉の金具には、菊の紋と葵の紋が刻まれているところから、将軍家が当社を信仰されていたことがわかります。

江戸時代の記述では、「己等乃麻知神社 日坂の少し西の方、宮村にあり。今誉田八幡宮を称す。延喜式内佐野郡に属す」とあります。江戸時代の通称は「誉田八幡宮」でした。旅に携えた東海道の道中案内図などには必ずと言ってよいほど誉田八幡が記されていました。この時代は「ことのまま」が忘れられかけた「ことのまま」空白の時代でした。

明治5年、県社に列せられて「県社八幡神社」と称しました。
明治の頃には、「事任八幡」と称することを願い出ても認められなかったのでした。

昭和22年に社格が撤廃された折、由緒ある古来の社号「ことのままの社」に基づいて、「事任八幡宮」と改称することができました。しかし、その頃御祭神として神社本庁に認められていたのは八幡大神のみでした。(*古い由緒)

平成に入り、元々の御祭神である「己等乃麻知比売命」を再度里宮にお迎えする「ことのままおこし」をいたしました。里宮では長い間八幡大神を主にお祀りされていましたが、その間も己等乃麻知比売命様はひっそりと本宮におられました。当社では、「ことのままおこし」として、改めて己等乃麻知比売命様を里宮にお迎えすると共に、「ことのまま」に関する種々の史料を添えて神社本庁に「己等乃麻知比売命」が主祭神として認められるよう申請いたしました。そして、やっと平成11年に県知事の認証書の交付を受けました。
主祭神「己等乃麻知比売命」と共に八幡大神三柱をお祀りする新たな「事任八幡宮」となり現在に至っております。

<事任八幡宮ホームページより>


<己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)>

忌部の神である玉主命(たまぬしのみこと)の娘神様で、中臣の祖である興台産命(こことむすびのみこと)の后神様です。また、枚岡神社や、春日大社にお祭りされている天児屋根命(あめのこやねのみこと)の母神様です。

ことのまちの「こと」は「事」でもあり「言」でもあります。また「まち」は「麻知」でも「真知」でもあります。真を知る神、言の葉で事を取り結ぶ働きをもたれる神様として、また、言の葉を通して世の人々に加護を賜う「ことよさし」の神として敬われています。天と地と人を結ぶ、とても大切なお働きをなさる神様です。

*上代「ことよさし」という言葉は「ことよす」という語にさらに敬意を含めたもので、「高い神が御言葉を以て、また事になぞられて顕世に御力をいたされる、真を伝えられる」の意味で、記紀にしばしば用いられています。

*興台産命(こことむすびのみこと)は、言霊の神様で、四国の天川神社にお祀りされています。

<事任八幡宮ホームページより>


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