ここから世界を変えることができます 奴奈川神社 奴奈川姫命

新潟県 糸魚川 一ノ宮 奴奈川神社に参拝しました。

中央の社殿でなく、奥の「奴奈川神社 御本殿」で、奴奈川姫様にお話を伺いました。



奴奈川姫さま

その昔、あったことについて話しましょう。

坂上田村麻呂がこちらを滅ぼした。
それまで様々なことがあったが、我々は持ちこたえていた。
長い間、攻められはしたけれども、この地の結界が破られることは一切なかった。
しかし、坂上田村麻呂が来た時に我々の結界が破られ、この地を征服されることになってしまった。
その時まで脈々と続いてきたものがすべて失われてしまった。
それは取り返しのつかないことであった。
それは人の心の通わないものであった。
我々はこの土地と人々を守ることを目的として結束していたところ、
突き崩されてしまったのである。
とても悲しいことであった。
私が治める時代が終わったということである。そのことがよくわかる出来事であった。

時代の流れとはいえ、到底承服できぬことであった。

誰がどうということではなく、時の流れと時代の趨勢ということである。

この国は、かの国とは違う。西側の国とは違う。
まったく別の考え方で結束を保ってきた一つの国であった。
それが西側の者たちから侵略されることになってしまった。
東側の国の独立を保つことが出来なくなってしまった。

力の違いといえば、仕方のないことであるかもしれない。
しかし我々は、この暮らしが確実に人々を幸せにする暮らし方であると信じていたし、それで一つにまとまっていたと思っていた。
しかしいつの間にか、西側の考え方をよしとする者たちが現れ、優勢になっていたのである。
知らないところでその価値観を良しとする者が増えていったために、目に見えぬところでその価値観の変遷が進んでいたために、気が付いたときにはもう抑えることができなくなっていた。
明らかにそれは私たちが承服できるような考え方ではなかった。
己の利益の為に人を支配するなど考えたこともない。
それをよしとする者が増えるなど、考えたこともない。
皆が、すべての者が幸せになるようにと考え、すべての者が幸せであることを幸せと感じるのが我々だと思っていた。
しかし、いつの間にかそれは少数派になっていた。

己が利益を追求することができる者が力を持つようになっていった。
私としてはとても悲しいことであった。
しかし、私にはどうすることもできない。
人の心、考え方を変えさせることはできない

それぞれの者がそれぞれに選んだこと。
それをよしとするとは、私としては大変に無念なことである。信じられないことであった

私と思いを同じくする者がいつの間にかいなくなっていたとき、力を望むもの、富を蓄えるもの、それがあからさまに目に見える形でいるようになると、それは魅力的であったのかもしれない。
しかし、私たちはそのような意識で生きていたのではなかった。
本来、すべての者たちが幸せになることが、我々すべての者の幸せであるはずだった。



遠い遠い昔から、私がこの地を治めていました。
私たちの心・意識は、たくさんの年月を越えて受け継がれ続けてきたものです。

自然と共存し、神と巫女の力で治めていた土地でした。
それが、自然とのつながりを切られ、自然のエネルギーを使うことを封じられて、だんだんと征服されていったということです。


私の国は日高見の国。
能登半島から白山、敦賀までは白山ククリ姫さまの国。
敦賀よりも西側は、玉姫さまの国。
諏訪は西から来た者たちの国。
新潟の南には別の国があった。富士山のふもとは別の国。
人が自然と神と繋がって治めていた時、それぞれの国を治める私たちは同じ気持ちで連携を取ることが出来ました。

西から来た者たちは、人間の力で自然の力を封印し、己らに都合の良いように支配していくということを行っています。
己ら以外の存在を力で押さえ、都合のいいように利用するという勢力です。
それに対する防御策を持っていなかった私たちは、思いもしなかったところを突かれてエネルギーを削がれ、負けて封印されるという結果になってしまいました。
神と巫女の力を封印され、その上に西側の神々が祀られ、西側の神々たちの勢力が広げられ、西から来た者たちが勢力をふるう土地を広げていかれたということです。


ですから、力で封印している、押さえつけている者たちの力が弱まり、封印を解くことができれば、本来のこの土地の自然の力を取り戻し、それとつながっていた人のエネルギーをも復活することができるでしょう。
私たちは本来その力で、自然と人と共存して豊かに栄えていくという道を選んで、幸せに、穏やかに、豊かに、お互いを敬いながら、助け合いながら、温かな心で暮らしてきたのです。

人の命を大切にすること、自然を大切にすること、心に従って人々を豊かに、自然を豊かにすることによって、私達もその恩恵を受けて、共存共栄してきたのです。
それを自然な形で続けていくことが最善だと思います。
しかし、西から来た者たちは、自然の力に従うことなく、もっと人間の利益を拡大すること、力によって自然を破壊し、破壊することによって自分達の利益を増やすこと、力と利益を拡大していくことを選択した者たちです。
そしてそこに、それを後押しし力づける神がいる

かつての時代の流れでは、私たちはその力に抗うことはできませんでした。

しかし、現在、その力は限界に達していると思われます。
力による支配の矛盾が極限に達して、限界を超えようとしている。
その転換点にあたり、その流れを変え、再び、本来の自然と命の力を復活することができれば、この地球と人と生命とすべてのもののエネルギーは、人間の力や武力に負けるような小さなものではありません。
そのことに気が付いてくれる人がたくさん現れれば、力による支配を消していくことができると思います。
私たちはそのことを望んでいます

すべては人の心が作り上げているものです。
私に力を与えるのは、たくさんの人が気付き、意識を向け、慕い集ってくれること。
たくさんの人の心が集まれば、そこにエネルギーが集まり、私たちの力も大きくなっていきます。そして大きなエネルギーをもらうことができれば、私たちが持っている力を正常な形で使うことができるようになります。
だれか一人が何かをするということではなく、たくさんの人たちがそのことを知って、それをよいこととして認め、意識を向けてくれること。

それぞれの人たちが、自分の利益と力を賞賛するのではなく、私たちの考え方に共感してくれること、共鳴してくれることが、最も力を与えてくれることになります。

私達神は、崇め、奉り、ひれ伏してもらいたいと思っているわけではない。
それぞれの者たちと心を合わせて、豊かな国、世界を造っていきたい。
皆と共に喜び合いたいということです。
ですから、一人でも多くの人が、この考えに共感して、その心で生きていかれるようになると、

私たちも力を得て、元気になって、様々な力を使うことができるようになると思います。

この国が滅んでしまうことがないように、今残っている私達で、力を合わせて守っていかなければなりません。
どうしてもなくしてしまってはいけません。
地球と自然と人間とが心を通わせて、共に豊かになっていくような暮らしができることをしっかりと思い出して、そこへ立ち戻り、本来の豊かな暮らしを取り戻さなければなりません。
それが私たちの心からの願いです。

武力、権力、支配力、財力、そのようなものがすべてに勝るという価値観が世界を支配していることがとても残念でなりません。
それは違う。思いあがっている。人間が力があると思っている者たちが、思いあがっている。
それは必ず地球を滅ぼすことになります。
我が国だけでなく、この地球そのものを滅ぼすことになります。
そのことに気が付いて、改めなければなりません。
私たちは、それを止めなければなりません。
それを止めて、また平和に皆が手を取り合って、すべてのものがすべてのものの幸せを願う世界にしていかなければなりません。
そうすれば、神と自然と人間とが協力して、苦労することなく、豊かに幸せな暮らしを送ることができるようになります。
それをどうか思い出してください。
思い出して、それぞれの人たちが、己の意思で変わるように。
心の内側から変わっていくしかありません。
きっとここから、世界は変えることができます。


今日は、来てくださってありがとう。
私は長い間、悲しみにくれていましたから、少し時間が必要かもしれませんが、同じ心を持っている方がいらしたことを大変嬉しく思いました。これから少しずつ、本来の力を取り戻していくことができると思います


今日は、こちらでお話することができて、本当に良かったです。
お怒りもあるかもしれません。悲しみもあるかもしれません。しかし、そのわだかまりを解いて、奴奈川姫さま本来の力を取り戻し、すべての力をこの地で発揮させてくださることを願っています。
奴奈川姫様、お話しくださってありがとうございました。


<奴奈川神社について>

奴奈川姫命を主祭神とし、後に八千矛命(大国主)が合祀された。この一帯はかつて「沼川郷」と言い、そこに住んでいた奴奈川姫命の元を八千矛命が訪れたという話が日本神話(大国主の神話)にある。伝承では、両神の間の子が建御名方命であり、姫川を遡って信濃国に入りそこを開拓したという。

『延喜式神名帳』に頸城郡13座の一社として記載されている。「奴奈川神社」という名前の神社は当社の他にも頸城郡内に複数社あり、糸魚川市田伏南村の奴奈川神社(旧郷社)、糸魚川市大字能生宮の上の白山神社(旧郷社)も式内・奴奈川神社の論社となっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

<御祭神について>

<奴奈川姫>

『古事記』では沼河比売、『先代旧事本紀』では高志沼河姫(こしのぬなかわひめ)、『出雲国風土記』では奴奈宜波比売命、その他奴奈川姫とも表記される。

『日本書紀』には登場せず、『古事記』の大国主の神話の段に登場する。八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠んだ。沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。

『古事記』にはこれ以外の記述はないが、新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。また諏訪でも建御名方神の母を沼河比売とする。『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。

『出雲国風土記』島根郡美保郷の条では高志国の意支都久辰為命(おきつくしい)の子の俾都久辰為命(へつくしい)の子と記され、大穴持命(大国主)との間に御穂須須美命(みほすすみ)を産んだと書かれている。

越後国頸城郡の式内社に沼河比売を祀る奴奈川神社がある。天津神社境内社・奴奈川神社をはじめ、新潟県糸魚川市内に論社が3社ある。なお奴奈川神社の創建は、成務天皇の御代に市入命が沼河比売の子建沼河男命の後裔長比売命を娶って創建したと伝わる。

十日町市犬伏の松苧神社の縁起には、奴奈川姫が松と苧(カラムシ)を携えて南方からこの神社まで逃亡してきたことが伝えられている。

また、長野県にも沼河比売を祭る神社があり、姫の乗っていた鹿のものとされる馬蹄石がのこされている。

諏訪大社の下社にも八坂刀売神や建御名方神と共に祀られ、子宝・安産の神として信仰されている。

『万葉集』に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




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